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【ブルーインパルスお別れフライト】



 全国のつばさ会会員の皆さまこんにちは。
 3月25日(月)、芦屋基地で開催された「ブルーインパルスお別れフライト」 に行ってきたので報告します。

 ご承知のようにブルーインパルス(BI)は、九州新幹線の開通にあわせて祝賀飛行をする予定で芦屋基地に展開していたところ、母基地の松島基地が東北大震災で被害を受けたため、そのまま芦屋基地を根拠として訓練を実施してきた。

 この度、松島基地の復旧が終わり、帰還するにあたり、お世話になった九州の人のために感謝のお別れフライトが計画された。フライトは一般公開され、多く(3,500人)の観客で賑わった。ブルーからの感謝のフライトでしたが、観客からも有り難うのパネルや言葉があった。

 式典は、招待客、一般のお客を前に柏原基地司令の挨拶で始まった。基地司令からは、芦屋で訓練するに至った経緯とこの二年間の支援に対する感謝の言葉がありました。

 周辺住民からすれば、BIの演技が身近に見られたことやブルーのメンバーによる小学校訪問などを実施してもらい、かえってお礼を言いたいことも多いです。

 この日の天候は、時折日が差すものの雲が多く、冷たい風が吹くあいにくの天気。この天候下、ブルーも各機、RWY30を単機で離陸。空中で集合し、ライトをつけて観客に挨拶。5番機、6番機はお約束の低高度離陸。単機離陸から今日の演技は期待できないかなと思わんでもなかったが、タイトなファンブレイクから始まり、第4区分と思われる水平系の演技で手堅く組み立てていった。なかなかよかったとよ。途中には、ロールバックトゥアローヘッドの珍しい大技もあり、またボントンロールも決まり、タッククロスでは歓声が上がった。ロリコンでは、4番機がちと高かったかな。元気があってよか。

 圧巻は、やはり「さくら」。本来なら新幹線の開通にあわせて実施する予定の技と聞いちょる。あいにくの雲でやや見栄えに欠けたばっ、BIの心意気は伝わった。

 そもそも九州新幹線の開通に併せてブルーを飛ばす案は、小野田西空司令官( 当時)と佐々木西空後援会長との努力で生まれたものと伺っている。結果からいえば、このお二人がブルーを災禍から救ったと言えよう。そういえば、その時の話が元で新幹線開通の前年には、陸自4師団の創立記念行事でも航過飛行をする予定だった。予行では無事飛行したものの、本番ではあいにくの雨のため中止になったと記憶している。陸自の駐屯地の上を飛ぶことは珍しく、このフライトの計画があったから新幹線開通時の調整も上手くいったのかもしれない。もちろん、この新幹線開業祝賀飛行を最終的に認めて頂いたのは元西空司令官だった岩崎空幕長(当時)というのは、皆知っているし、とても感謝している。

 話ばっかりでもいかんで、写真もあるので、これを見ながら当日の雰囲気を感じとってて頂きたい。



柏原基地司令の挨拶で式典は開始された。









「ありがとうございました」の自作パネル。同種パネルを持った男性も。







ウォークダウンで開始
田中隊長が1番機に向かう。








見送りを受け、地上滑走へ








単機離陸から再集合し、観客へ挨拶に。







 スローロールに見とれる。










ロールバックトゥアローヘッド








5、6番機のコークスクリューで演技終了








観客の見守る中、着陸。








ブルーは、28日芦屋を発ち、途中百里に立ち寄り、31日に松島に帰還する予定。


                              (記・画;共にWalter)


番外編

ブルーと共に難を逃れた4空団のT-4   ゲートキーパーのT-1
      

     
    ナイキJ (訓練弾)          本日の案内板と芦屋基地ゲート

     
  芦屋救難隊のUH-60J         タイヤまで黒く磨かれた消防車