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死生観ノート


                           2015.2.22


 「あなたの“死にがい”は何ですか?-死生観ノート」(27)


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27 武士道を通しての兵士の精神教育(4)

(4) 兵士の精神教育としての武士道

 合理的な思考や計画性よりも、兵士の精神力を強調せざるを得なかった明治から太平洋戦争期の日本軍においては、『葉隠』、あるいは「武士道」の名によって兵士の精神が形成されたのは事実である。そこには、今まで戦(いくさ)を生活の生業としなかった農民や、商人などを一気に、強国に匹敵する強い兵士にしなければならなかった国際情勢があった。「今日からお前たちは、日本の兵士だ。兵士、すなわち武士である。武士ならば、武士として恥ずかしくない働きを家族に見せなければならない。」という一直線の考え方の徹底である。「武士道」の響きは、まさにうってつけの掛け声であった。
 それは、本来の策略を自明の前提とした「武士道」の考え方や『葉隠』の生き方とは異なった精神であったが、兵士の精神を高揚させ、国家の目的達成に一丸となって邁進させるためには格好の文言として用いられた。

 次に、兵士にどのようにして武士道を通した教育がなされたのか考察する。
 戦時までの兵士の養成に時間をかけることのできなかった日本では、その教育の方法を、職位の標準化と人の能力の標準化に求めた。すなわち、配置の交替があって、別の人間がそこに就いたとしても、慣れるまで待つとか、今までのやり方と全く異なるから初めから勉強するなどということは時間の無駄であり、そんなのんびりした気分では戦争などやっておれないという考え方である。「だれに代わっても、いつも、一定の戦闘力は発揮できるようにしておかねばならなかったi 。」というのが、教育のシステムであった。
 この人間教育においては、当然ながらしっかりとした死生観をもたせておく必要があった。「卒業したばかりの旧制中学生を、死生を顧みない『侍』に仕立て直さなければならなかった。『義は山獄よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ。その操を破りて不覚をとり、汚名を受くるなかれ』と『軍人勅諭』で諭された教えを身につけた『侍』に、どうやって作り替えるか。気の遠くなるような大仕事である ii。」










      軍人勅諭原本





















 海軍兵学校では、死の恐怖を超越させるために、海軍軍人として国から与えられた任務を徹底的に純粋化し、その重さをよく分からせ、海軍生徒はその目的のために択ばれたものであるとして、「天皇の股肱」であるというエリート意識を、この上なく強調した。例えば、ある若い潜水艦長の生還してきたときの述懐が、「いろいろな人から、いろいろと教えられました。でも、頭に焼きついて離れなかったのは、ここを私が守らないで、だれが守るか。その責任感だけでした。死ぬも生きるもありませんでした」とあるのがその証左である。
 また、「士官学校の教育というものは究極的にいえば死に対する教育であります。・・・『義は山獄よりも重く、死は鴻毛よりも軽し』と覚悟せよという精神です。任務を受けた場合は死を鴻毛の軽きにおくような訓練、死に臨む訓練というものを絶えずやらされているわけです。そういう場合に結局御勅諭というか、天皇というか、命令だという強い軍隊の圧迫というものが、それのために死の恐怖心がなくなって、むしろ何か実際光栄なものである、自分は光栄の死というものをここで与えられるというふうに考えるiii 」ことを身につけるのが教育の目的であり、それは十分に機能し成功したのである。

 米国の心理学者クラークは、太平洋戦争前の日本の教育、特に『古事記』、『日本書紀』を含め、神国日本を強調し、世界に取って特異な存在であり、諸国を指導して行く立場にあるとした教育が徹底されたことにより、日本国は他国に秀で不滅の国であると国民が信じるようになったと分析しているiv 。
 兵士に直接教育するだけでなく、広く国民に対して、兵士の死に対する考え方を、国からこう教えろとか、強制的な命令は無かったにせよ、その時々の社会が正しいと考える道徳なり理論が啓蒙されていった。国家の兵士がどうあるべきかという問題は、それまで、ほとんどの国民が接することの無かったもので、さまざまなメディアで話される内容が、迅速に吸収されていった。
 例えば、「申すまでもなく、人にはその性の男女を問はず、年齢の老若を論ぜず、貴賤貧富それぞれに皆守るべき本分があります。この本分を守る為には、死ぬことを恐れないで、危難の中へ飛び込んでゆく・・・といふのが日本人であり、その日本人の事跡を書き綴つたものが、日本の歴史であるのでありますv 。」と法本は、太平洋戦争に向かって、ラジオ放送を使って自身の思いを伝えた。同じく、「たとひ親をすてても、君の御為に死ぬことが最上最高の孝道である。そしてその反面、おやとしてはそれが悲しくあらうとも、それに甘んじそれに堪へて、わが子を君に捧げることが、また親たる者の道である vi。」と兵士に対してだけでなく広く国民全体を対象として啓蒙を行った。
 そして一貫して強調されたのが、戦力としての兵士の精神力向上であって、その最も理解しやすい規範が、「兵士即武士道、大和魂」という精神の啓蒙であった。武士道を、兵士を望ましい形に作り上げる為の教育材料として、兵士の心情に訴え易く、かつ古来からの日本人の持つ「大和魂」と「桜の花に対する思い入れ」を背景に用い、兵士の精神教育は行われた。

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i 吉田俊男『日本海軍のこころ』(文藝春秋、2002)15~16頁。
ii (同上)16頁。  
iii 飯塚浩二『日本の軍隊』(岩波書店、2003)199頁。
iv James Clark Moloney,M.D.,UNDERSTANDING THE JAPANESE MIND(New York:Philosophical Library,1954),Cap.13“The Key to the Understanding of Japanese Psychoanalysis”pp.139-152.  
v 法本義弘『日本人の死生観』(国民社、1944、昭和19年)7頁。
vi (同上)77頁。

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《筆者紹介》
 大場(おおば) 一石(かずいし)
《略  歴》
 文学博士 元空将補
 1952年(昭和27年)東京都出身、都立上野高校から防衛大学校第19期。米空軍大学指揮幕僚課程卒。
 平成7年、空幕渉外班長時、膠原病発病、第一線から退き、研究職へ。大正大学大学院進学。「太平洋戦争における兵士の死生観についての研究」で文学博士号取得。
 平成26年2月、災害派遣時の隊員たちの心情をインタビューした『証言-自衛隊員たちの東日本大震災』(並木書房)出版。


               


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