本文へスキップ

つばさ会は航空自衛隊の諸行事・諸活動への協力・支援等を行う空自OB組織です。

電話/FAX: 03-6379-8838

〒162-0842 東京都新宿区市谷佐土原町1-2-34 KSKビル3F つばさ会本部

死生観ノート


                           2015.3.7


 「あなたの“死にがい”は何ですか?-死生観ノート」(28)


☆-------------------------------------------------------------------☆

28 同僚の死と組織としての精神力(1)

 戦場においては、直前まで自分と笑顔を交わしていた同僚が敵弾に倒れる場面が無数に生じる。戦闘が激烈になり、次々に自分の横にいた戦友が敵の砲弾で吹き飛ばされ、血を流す戦場で、兵士が尚も戦おうと自分の心に打ち勝つ支えとなったものは何であろうか。
 潔く死することのみが兵士にとっての死生観であったとは考えられない。敵と戦い、我が国に勝利をもたらすという任務をいかに全うするかが、兵士にとっての使命であり、この時の死への恐怖を克服する一つの手だてが武士道からの教えであり、日本人のもつ基本的な死生観であった。

 今まで述べてきた基本的な死生観とは、死を肉体的な避けることのできない事象ととらえ、それを受け入れることができたなら、その後は肉体から分離した霊魂として、あの世から現世に生きる人々に影響を与えるというものであった。
 もう一点、兵士個人の精神力の強化と伴に求められたのは、軍という組織としての精神力の強化であった。軍が、戦闘力を維持し、敵を倒すためには最後まで組織を形成し、個人個人の総合力として組織力を発揮する必要があった。軍は組織となって始めて戦闘力を発揮できるもので、個人個人の兵士の単位では、微少な力でしかない。では組織としての精神力は、どのように作られ、強化されていったのか。
 今回は、嫌がおうでも自分の死について考えざるを得ない場面、すなわち、実際に弾の飛び交う戦場の話である。現実の戦場で同僚が次々と死んでいく状況に出くわし、次は俺の番かと思いつつも任務に邁進し、組織を守り、軍としての戦闘力を発揮した兵士の心情について、組織としての精神力と、その心情の中心の柱を形成したものは何であったかを考える。  任務達成のための兵士の強い意志について考えるには、まず兵士の心の基底となった魂の永遠性の考え方に触れる必要がある。今回も次回も、ほとんど精神論に近いため、読み辛いかもしれないがお許し願いたい。

  (1) 七生報国

 兵士にとって死を覚悟することは任務を完遂するための第一歩であった。「自己の義務を遂行するためにつねに死を覚悟していることは、軍人たるものの最も厳粛な特性である i。」という考え方が、まず前面にあった。自分の同僚が敵の弾丸に吹き飛ばされようとも、怯まず、自己の死を恐れずに兵士が前進したのは、その肉体がこの世から消滅しても、兵士の魂は、なお任務達成に向かうのだという信念であった。例えば、昭和20年6月22日、沖縄で自決された牛島満軍司令官の辞世の歌も、
「矢弾尽き天地染めて散るとても 魂還り魂還りつつ皇国護らん」
となっており、やはり日本軍人の死生観の根底にあるものは、魂の永遠性を信ずることにあると考えられる。
 同様に、昭和15年7月22日、中国重慶の航空偵察に赴き、戦死した桑原太郎大尉の母は、 「初陣に散りて果つれど忠魂は、七度生れて仕えまつれよ ii」 との歌を捧げており、軍人の母もまた忠魂を信じていたと考えられる。それは多くの遺族の心でもあったと推察されるのである。
 死を恐れないということと、一度死んでもなお忠誠を尽くすという考え方は、太平洋戦争の以前から兵士の身に染み込まされたものであった。「大君の御ため、死んでも死んでも、何度死んでも、生まれ代わって来て奉公の誠を捧げねばならぬ-といふ、楠公兄弟の精神、正季の言葉の前には、問題にならないのでありますiii 。」というように、兵士として最も重要な精神的要素として与えられてきた。
 そして、殉死したならば、靖国神社で軍神として祀られ、国のため霊魂となって仕えるのだという信念を持っていた。このように信じることで、兵士は死を克服し、恐れずに敵に向かっていった。兵士にとって死んだらそれで自分の任務は終了するのではなく、靖国神社で神と祀られた後も、生き残った日本人のこころに働きかけ戦闘を続けることが誓われたのである。





「七たび人と生まれて、逆賊を滅ぼし、国に報いん(楠木正成)」の意味 (湊川神社の朱印が押捺された「七生報国」の鉢巻)

(2) 忠誠

 兵士はなぜ一命をかけて敵と戦うのだろうか。それは、自分たちが命をかけることによってしか、守るべきと信じた国家や国民や家族などを敵の蹂躙から防護できないと確信していたからである。自分が何もしなくとも、国や国民は安心して繁栄することができるなら、みすみす死地に赴く必要はない。国外からの侵略があった時、生命がけで任務を遂行する必死の武装集団があり、それを国民が支持することこそ、対象国に恐れを抱かせ抑止力となるのである。そして兵士のみならず、兵士を送り出す国民の側からも、「国民の正義に殉ずることが、軍人の死の価値であり、安心感である。多くの日本人は、その雰囲気の中で、特別な哲学的思考もなく斃れたと考えられる。遺書もなく、記録もないが、その死は尊いと思う iv。」と、自分たちを守る兵士の尊さを理解していた。
 これは、我が国だけのことではない。国家がやむを得ず別の集団と戦わざるを得なくなったとき、各国家の兵士も、命をかけて国を守ったのである。現在の米海軍士官候補生読本の『海軍リーダーシップ』では、この国家に対する忠誠について「兵士にとって、最も重要なのは、国家に対する忠誠である」と最大限の責務としている v。また、英国のウェーベル元帥は「何が軍人をして、勇敢に生命を賭けさせるか。英国に関する限りは、伝統と規律が根本をなす vi。」と語っている。

















リーダーシップ―アメリカ海軍士官候補生読本 (アメリカ海軍協会)

 そして兵士が死と直面し、それに対する恐怖をいかに克服するかについても、「自尊心という考えは、英米には強く見られるが、日本ではあまり言われないことである。戦争は恐ろしいもの、退屈なもので、それに意味をつけようとしない方が良い。毎日ただ頑張って、自分の前にある身近な仕事をやって行くがよい vii。」と各国とも、精神的な支えを行って来た。その支えは、「ウェリントンにしても、ネルソンにしても、義務すなわち“DUTY”が、神と共に英国流の軍人の死生観の中心のように考えられる viii。」と兵士に与えられた任務の達成こそ、総ての恐怖にうち勝つものと考えられていた。












Archibald Wavell, 1st Earl Wavell(アーチボルド・ウェーヴェル)

 もう一点重要なことは、兵士の行動が国民の支持を得ているかどうかということである。すなわち、取り返しのつかない殺人は、日常の世界では人間として行ってはならないタブーである。このタブーを行わなければならない状況で、日常の倫理観が働くと兵士はその場で命を落とすことになる。この状況で生き残るためには、軍隊での特殊な倫理が必要になる。軍隊の特殊な倫理は、国民が誉め称え、容認するのでなければならない。国民が兵士の行動を認可し褒め称え、英雄として扱わなかったならば、兵士は、敵の銃弾の前に身を曝すことはできない。
 現在の安全保障の考え方では、兵士が戦争に向かうために必要な要素として
  ① 軍の整備
  ② 法整備
  ③ 資金
  ④ エネルギー資源
  ⑤ 国内世論の賛同
という5つを挙げている。もちろん勝てるだけの兵備と軍事的優位性があることが兵士にとって絶対的な支えになるが、ぎりぎりの生死をかける場面では、精神的なバックアップが最も重要になるであろう。そしてそのバックアップは国民の支持にあることは今まで説明したとおりである ix。
 日本人は世界で最も同一性(同一民族、同一言語)が強いが故に、イザヤ・ベンダサンが指摘するように、理外の理とか、以心伝心ということがよく通用するx 。そのため、周りの大多数の日本人が思っていることが、世の中の正論であると思いがちである。そして、「日本人は島国根性として視野の狭い欠点があり、また一方では単純に損得で働く人を軽蔑する傾向がある xi。」そのため、余りに理数的に割り切った考え方は、好まれなかった。
 これらの特性から、日本人の兵士が望んだのは精神を重視し、自分の生き甲斐が叶う組織だった。「人間にとって本当に幸せなのは、何の苦労もない何のはりあいもない生活ではない。同様にして組織とは、永く繁栄して存続する組織であり、人々が本気になってそのエネルギーを投入する組織なのである xii。」ということである。現代の統率論においても、目標を達成させ成功感を体験させることが、心理的エネルギー(士気)を高めることになっているが、これをいかに軍隊という組織の中で実践していくかが統率であり、また兵士の忠誠を育む方策であった。
 また兵士は、国に仕えるという奉公の考え方を第一としていた。これは、ただ任務を全うすると言うことではなく、「本分を守るということの中には、勤めを守るということもありますが、その努めに伴う道徳を守るということも含まれています xiii。」というように、日本人としての道、道徳をいかに考え、いかに実行するかという意味も含んでいた。そうすれば自ずから、武田信玄の言葉といわれる「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵」という兵士がその持てる力を十分に発揮できる後ろ盾が作られると考えていたのである。
 そして「皇国に生を享け皇国の為に陛下の御馬前に死するを得るは男子の本懐之に過ぐるものなし」(陸軍軍曹 大野正助、昭和18年1月14日、ガダルカナルにて戦死、28歳 xiv) として、日本人として生まれ、兵士として国家から碌を育まれた身であるからには、国に命を捧げるのは当然であると考えていた。もし、戦争で命を落としたとしても、それは残念ではあるが、本望であると覚悟していた。
 「併し自分の體は 天皇陛下に捧げた身であり戦場でもあることとて何時どこで死ぬかも知れません その時は決して人に後指さされるやうな事はしない覚悟ですから戦死の報に接した時は一家親戚打ち揃つて泣く事なく歓んで御祝ひして下さい。」(陸軍軍曹 柴崎檮雄、昭和12年9月16日、江蘇省にて戦死、22歳 xv)
自分の家族が死んで喜ぶ親達などいるはずは無いが、泣きわめいてもどうすることもできず、せめて、兵士として立派な死に方ができたと、納得するしかなかったのである。そして兵士は少なくとも自分の遺族に、誇りになる死に方ができるよう日々を送っていたのである。

☆-------------------------------------------------------------------☆
i 飯塚浩二『日本の軍隊』(岩波書店、2003)3頁。
ii 『留魂』(陸士第51期生会、1976、昭和51年)229頁。
iii 法本義弘『日本人の死生観』(国民社、1944、昭和19年)242~243頁。
iv 長嶺秀雄『日本軍人の死生観』(原書房、1982)191頁。
v アメリカ海軍協会編『リーダーシップ』(日本生産性本部、1981、昭和56年)128頁。
vi 「統率学習資料」(防衛大学校防衛学教室、1980、昭和55年)88頁。
vii C・D・ボーエン『判事ホームズ物語(上)』(法政大学出版局、1977、昭和52年)272頁。
viii 長嶺秀雄『日本軍人の死生観』(原書房、1982)186頁。
ix 米国では、現在でも兵士であるということを言えば、各種の割引が得られるし、宿泊施設の利用や、娯楽施設の入場料、公共の博物館なども無料である。そして殉職したときは、アーリントンなどにある国立の墓地に栄誉をもって埋葬されるのである。よく無名戦士の墓という言葉を聞くが、米国においては、国外で戦死した兵士の遺体は、本国に持ち帰り埋葬する。全ての兵士が戻ってくるまで、その戦争は終了しないという国としての信念がある。ちなみに、米国の、兵士に対する各種のサービスは、必ずしも米国軍人に限らない。どこの国の兵士に対しても行われている。また、中国でも軍人に対して同様のサービスが行われている。各国は兵士に対して、国のために命を懸けるという崇高な使命を理解し、そのための施策を行っているのである。単純だが、太平洋戦争時の米国では、国民がどれだけ兵士の支えになったかの例として次のようなものがある。アメリカでは、戦時中ペプシ・センターで兵士であれば無料でペプシ・コーラを飲むことができ、サンドイッチとハンバーガーを5セントで買うことができた。この考え方は、現在でも引き継がれている。金額にして、どうということはないが、兵士であることを誇りに思う気風が続いているのである。
x イザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』(山本七平訳、山本書店、1970)72頁。
xi 長嶺秀雄『日本軍人の死生観』(原書房、1982)38頁。
xii 大友立也『組織よ人をこう見てほしい-アージリス経営学入門』(日本生産性本部、1969)200頁。
(アージリス:1947年クラーク大心理学士、1969年エール大学経営管理学教授、主著の5つは最高国家公務員行政業務再訓練課程用の指定図書になっている。)
xiii 瀬島龍三『日本の証言』(扶桑社、2003)28~29頁。
xiv 『英霊の言乃葉-第8輯』(靖国神社社務所、2004、平成14年)73頁(父あての遺書の一部)。
xv 『英霊の言乃葉-第7輯』(靖国神社社務所、2003、平成13年)12頁(両親あての書簡の一部)。

☆-------------------------------------------------------------------☆

《筆者紹介》
 大場(おおば) 一石(かずいし)
《略  歴》
 文学博士 元空将補
 1952年(昭和27年)東京都出身、都立上野高校から防衛大学校第19期。米空軍大学指揮幕僚課程卒。
 平成7年、空幕渉外班長時、膠原病発病、第一線から退き、研究職へ。大正大学大学院進学。「太平洋戦争における兵士の死生観についての研究」で文学博士号取得。
 平成26年2月、災害派遣時の隊員たちの心情をインタビューした『証言-自衛隊員たちの東日本大震災』(並木書房)出版。


               


つばさ会トップページ
死生観ノートトップ



著者近影