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由良2佐の戦史記事


                           H26.05.20
                          

 臨機応変と原則重視


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6 まとめ-このように考えてみれば-
 前回は、先輩の方々に質問をいたしました。問いを出した限りは、小生なりの答を用意しなければなりません。独断と偏見に満ちた小生の答です。今までの研究、学習及び経験をもとに次のとおり、まとめてみます。

 今回の記述と状況では、海軍は航空戦力運用の原理原則を守ったともいえます。陸軍は航空運用の原理原則をさておき臨機応変かつ迅速に戦況に対応したといえます。

 今回の事例では、臨機応変かつ迅速に対応した陸軍に軍配が上がるのではないかと考えます。しかし歴史を調べていると、海軍のように目先の利害にとらわれず原理原則を守ったことにより最終的な勝利を得たという事例もたくさんあります。それにもかかわらず、小生が陸軍に軍配を上げるのは、次のような理由からです。

 海軍は、1944年以降侵攻してくるアメリカ艦隊と水陸両用部隊を迎え撃つにあたり、艦隊の主戦力である機動部隊の空母、特に正規空母を攻撃目標とすることに固執していました。それに対して陸軍は、海兵隊や陸軍の兵士を輸送する輸送船を攻撃目標とすべきであると主張しました。当時のアメリカ機動部隊の防空能力ではその防空網を突破して、防空網の中心に位置する空母を攻撃することは困難です。また、アメリカ機動部隊の来襲は海兵隊、陸軍等の陸上兵力とともに、その作戦目的である要地(具体的には島嶼)を攻略することを目的とします。しかし機動部隊と異なり輸送船団の直接護衛は正規空母に比較し小型の護衛空母等の比較的脆弱な戦力が行っています。このため、厳重に防衛された機動部隊の正規空母より攻撃成功の可能性があります。また、陸上戦力に大きな損害が出るか、上陸した陸上戦力に対する補給が維持できなければ要地占領の目的は達成できません。敵の作戦目的を阻止するということから言えば、陸軍の考え方はより目的に適応できたといえます。

 それに対して、海軍は「敵艦隊の主力をつぶせば、その再建には時間がかかり戦争継続が困難になる。だから敵の主敵を攻撃する。」という考え方を日露戦争の勝利によって深めることになりました。その後仮想敵がアメリカになってからも、この考えは維持されます。このことから海軍は自分たちの考える主敵を撃滅することに全力を挙げるということになります。また、真珠湾攻撃まではその主敵は戦艦でしたが、ミッドウェイ海戦後はその主敵は空母となります。戦争の様相が変化したにもかかわらず、従来の発想がほぼ固定観念化していたとも考えられます。このことから、海軍が航空運用の原理原則を守ったのはある意味、従来の観念にとらわれたに過ぎないといえるでしょう。

 一方、陸軍では、陸軍航空の中堅クラスつまり専門家の反対を押し切ってまで、戦闘機超重点主義に移行しました。「現在の我が国の技術力に基づく戦力では連合国軍に対抗できない。連合国より質量ともに劣る戦力をどのように活用するか、少しでも不利点を改善するのはどのようにすればいいのか」という判断をしたと考えられます。この結果「地上軍を減らしてでも航空部隊を拡充する、その中で今までの戦訓を反映し、要員養成や機材の生産が比較的容易で戦場上空の航空優勢を獲得できる可能性の高い戦闘機に重点を置く。」という結論に至ったと推測できます。

 この例だけでこのような答えを導き出すのは乱暴かと思います。しかし、小生もいろいろな先輩方にご指導をいただきましたが、想定外と言える問題が発生した場合、原理原則に固執するだけではなく、その問題のおかれたレベルの上位のレベルの観点へ戻って判断せよとのご指導をよくいただきました。すなわち陸軍は少なくとも海軍よりも皆様、諸先輩方の考え方に近かったのかもしれません。

 また少し意味合いは異なるかもしれませんが、西浦進防衛研修所初代戦史室長が書かれた『兵学入門-兵学研究序説』(田中書店、1967年)の191頁からの引用文を紹介しておきます。

  モルトケ門下の逸材として兵学界に名をなしまた実戦においても令名を馳せたヴェルヂ・ドュ・ヴェルノア将軍が1866年ナホド戦場の縦隊指揮官として初陣の感想は彼の「師兵術」に記され、じ来屢々引例されるところになっている。
  即ち彼は眼前に現出した諸種の困難に当面し、これに対処するための過去の範例又は教訓も自己の記憶中に求めたが何の得るところもない。   
  「戦史も原則も事に当たって何の役にも立つものではない。結局これはどうすればよいのか。」   
  かくして彼らは自らこれに対処する方策を出した。「一体問題の要求するところは何であるか。」   
  De quoi S’ agit-il? 即ちこれに対処する自己自身の能力、これが要求される能力である。

 この文章には「戦史も原則も事に当たって何の役にも立つものではない。結局これはどうすればよいのか。」とあります。しかし、その前後の文脈を小生なりに解釈すると、この文章の意味するところは、戦史や原則が無意味というのではなくそれらの知識をしっかりと頭に入れた上で、自分なりの考え方ができなければならないということなのです。言葉をかえると自分なりの考え方ができるくらいに戦史や原則を理解しておかなければならないということなのです。過去の事例である戦史、それらから導き出された原則を咀嚼し、それらが自分の身について初めて「一体問題の要求するところは何であるか。」に対する答えが出せるのです。つまり、目の前の事象の本質を導き出せる、言い換えれば上位のレベルでの判断に行きつくのだと推測できます。

 この能力を身につけることが、戦史を学ぶ意義の一つです。歴史は繰り返しません。しかし同じ人間が行っていることゆえ、その根底に隠された本質は変わらないと考えられます。それらを頭に入れ、それらからどのように教訓が生み出されたかの過程を学ぶことが重要なのです。同じ事例は発生しませんが、対処法を生み出す考え方は基本的に同じことが多いのです。「それは過去のことだろう。」という問いを小生は若いころよく聞かされした。これは、「戦史=学校で習った暗記モノ」という考えに基づくのではと考えます。しかし、戦史の研さんの本質はなぜこのような事例に至ったのかという過程を追い、その特徴や問題点、改善点を自分なりに考察するところにあります。これらの過程を踏まえ、与えられた問題点、未だ経験したことがない問題点に対してその問題点の一つか二つ上のレベルにまで視点を広げ問題解決にいそしむことが出来るのではないかと考えます。

 最後は戦史の宣伝となってしまいました。今回は授業をやっているような内容になってしまいました。小生の不徳の致すところです。次回はもっと気楽に読める内容にしてみたいと思います。 (この項、終了)


          幹部学校戦史教官室 由良富士雄


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