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演題:「フィリピン防衛駐在官勤務を終えて」

  空幕情報通信課
   計画班長 田中秀樹 1等空佐




 三木会は、平成28年10月20日(木)1300−1430、ホテルグランドヒル市ケ谷において、平成28年7月まで在フィリピン大使館付武官をされていた空幕防衛部情報通信課計画班長の田中秀樹1等空佐を講師にお迎えして「フィリピン防衛駐在官勤務を終えて」と題して講演会を開催しました。(一部、既報)
(以下、本文)
■活気あふれる、東南アジアの群島国家
 東京から僅か4時間強のフライトでルソン島の中間部、マニラ首都圏のニノイ・アキノ・国際空港に移動できます。ボーディング・ブリッジに降りると、ムワッ≠ニする独特の空気に包まれ、同時に浅黒い肌に印象的な大きな目を持つ空港職員のにこやかな笑顔に迎えられます。市内に出れば東京の緊張感とは対照的なリラックスした空気と人々の表情。そして何よりも「若い!」(平均年齢23歳)。フィリピン共和国は、日本の南西約480kmに位置し、7100余りの島々で構成される海洋国家です。総面積はおよそ30万平方km、総人口は約1億人で、いずれも日本の80%程度に相当します。
 フィリピン政府退職庁は退職者用永住ビザを手頃な値段で発給してくれますし、気候も温暖で、ゴルフのプレー代も格安とあって、近年はリタイア後の移住先として選択する日本人も増えています。ただし、ビザに限らずあらゆる行政手続きの遅さと不正確さはご想像のとおりです。また、安全、医療及び食事にはそれなりに資金を投入しないと早死にすることになるので、移住にあたっては信頼できるアドバイザーに相談しましょう。
■暴言大統領(?)≠ニ根深い国内問題
 最近、日本のメディアでもフィリピンの話題が取り上げられる機会が増えました。私の帰国直前に就任したドゥテルテ新大統領は、公約である麻薬犯罪撲滅に心血を注いでおりますが、法治国家の大統領が司法手続きを無視した取り締りを奨励するかのような発言を繰り返している点が問題視されています。ところが、ドゥテルテ大統領の国内支持率は一貫して高く、むしろ上昇傾向です。
 では、何故このような強権的な手法を国民が許しているのか。そこには、やはり根深い国内の諸問題が影響しているようです。
 著しい経済発展を続けているといわれながらも、全く改善しない生活・教育の格差、一部の政治エリートが財閥系グループ企業と深く繋がり、富を独占しているという不信感と失望感。こういった庶民の不満が、固定化された社会階層を“ぶっ壊してくれるダーティー・ハリー≠フ登場を歓迎し、かつてテロリスト天国と呼ばれた南部ミンダナオのダバオ市をフィリピンで最も安全な街に強制的に変革(その陰で超法規的に殺害された人々もかなり多いとの説も)させた手腕に熱い期待を寄せています。つまり、変革を求める大きな期待感がこの熱狂を支えているのではないかと考えられています。
 フィリピンといえば、台風や洪水による被害が多いことも事実です。2013年11月、レイテ島タクロバンを中心に中部ビサヤ地区を襲った台風「ハイエン(現地名・ヨランダ)」は、死者・行方不明者合わせて約8000人という甚大な被害をもたらしました。自衛隊は、過去最大1180人の国際緊急援助部隊を派遣し、フィリピン政府および国際社会と連携しながら、被災民・救援物資の輸送や、医療・防疫活動を行いました。当時着任して間もなかった私も、防衛駐在官として現地状況の掌握に努め、フィリピン政府からの支援要請の取り付け、自衛隊の活動地域に関する調整、先遣部隊および本隊の受け入れ準備などの活動に奔走しました。自衛隊の活動は現地でも高く評価され、後述する日フィリピン防衛協力関係の深化にも大きく影響しました。
■今なお予断を許さぬ国内テロ問題
 フィリピンでは1970年代半ば以降、南部ミンダナオ島を拠点とする反政府イスラム勢力と、国軍・国家警察との内戦状態が長期にわたって続きました。戦後、東南アジア諸国が次々と経済成長を遂げる中、フィリピンの経済発展が立ち遅れたのは、この内戦も要因の1つとなっています。 前政権下では、国内イスラム最大勢力であるMILF(モロ・イスラム解放戦線)と政府の和平合意が形成されましたが、イスラム自治政府樹立のための法審議や武装解除は道半ばであり、また、和平に反対する分派勢力による爆弾テロ事件や政府機関施設への襲撃事件は後を絶たず、いまだ予断を許さない状況にあります。「テロは舗装道路の終点で生まれる。」ミンダナオ地域を管轄する国家警察のある現地指揮官の言葉ですが、民族や宗教の違いはもとより、政府による社会経済開発から取り残された地方の農村では、武器の密造や誘拐ビジネスが生活費獲得の手段となっている側面も指摘され、貧困地域に対する経済的援助が引き続き求められています。日本政府は長年、国際協力機構(JICA)を通じた医療、教育、インフラ開発などの支援を続けており、ドゥテルテ大統領の親日的姿勢の背景には、日本に対する深い感謝の気持ちがあると言われています。
■引き続き不可欠な米国からの安全保障支援
 ドゥテルテ大統領の就任以降、反米発言が度々取り上げられていますが、現地の大使館スタッフや日系企業駐在員に直近の感触を聞くと、対立軸を強調してニュース・バリューを高めるため、メディアがその発言を恣意的に編集・発信している傾向があるようです。 20年以上の間、陽気でジョーク好きなフィリピン人を相手に地方都市の市長として君臨してきた彼は、聴衆が喜ぶ話を何時間でも展開できる話術があります。 「ウケを狙った」個別の発言に一喜一憂することは意味の無い行為かもしれません。
 米国とフィリピンは伝統的な同盟関係にあり、フィリピン国軍の組織編成及び教育訓練は米軍の影響を強く受け、主要装備の多くは米国からの供与品です。防衛当局間の調整枠組みも強固で、年間約400件の共同訓練や教育支援プログラムを実行し、数千人の米軍人が一時立ち寄りをしている状況です。
 また、2014年4月には、両国の同盟関係の転換点ともいえる比米防衛協力強化協定(EDCA : Enhanced Defense Cooperation Agreement)が署名されました。 90年代の米軍軍基地の撤退以降、国内に米軍基地は存在しておりませんが、この協定により、米軍のフィリピンへの一時立ち寄りの更なる増大や、米軍用施設の建設などが認められることとなりました。米軍基地の建設や駐留は、依然として憲法で禁じられているものの、実質的にはフィリピン国内に米軍の作戦拠点≠構築することが可能となりました。
 現在、両国が合意したフィリピン国内の5つの合意基地に対する開発作業が予定されています。 近年の南シナ海における情勢を踏まえても、フィリピンが米国からの軍事支援を断ち切るという選択肢は現実的なものとは思えません。
■我が国との安全保障協力
 近年、日本とフィリピンの安全保障協力・交流が劇的に進展しています。 日本は東シナ海、フィリピンは南シナ海と、極めて類似した戦略環境を抱えた両国が、海洋安全保障をはじめ各分野で協力を進めていくことは必然でしょう。
 日比両国は、2015年には「防衛協力・交流に関する覚書」に署名、2016年には「防衛装備・技術移転協定」を締結しました。これまでも運用から後方まで様々な分野でキャパシティ・ビルディングを開始しています。また、現在進められている海自練習機の有償貸与事業は、教育支援や整備支援も含めた総合的なパッケージ支援策としてユニークなものであり、ロジスティックス分野に弱いフィリピンの特性を踏まえた真に有効な取り組みと言えます。
 海洋安全保障や災害協力といった分野で、陸・海・空の各自衛隊がフィリピン国軍と実質的な協力と相互理解を深めていく新たな段階に入ったことを日々実感しています。