山陽支部ニュース

「今年も飛行安全で締めくくり」

1 餅つき

防府北基地(司令:上田知元1等空佐)では、12月15日(月)基地の餅つきがありました。基地の各編成単位部隊の代表者、丑年生まれの年男・年女、重永つばさ会山陽支部長、OB会牟田会長等が参加して、お供え用や試食用の餅が搗き上げられて、各隊に配られました。飛行訓練と並行しながらの餅つきでしたが、短時間に手際良く搗きあげられ、参加した皆さんの顔は、一様に明るく楽しそうでした。お正月と待ちに待った休暇がもうすぐです。家族団欒や初詣を楽しみ、しっかり充電して2009年に備えて下さい。部隊と基地所属隊員の皆さんの新年が、健康で実り多い1年となりますようにお祈りしています。

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2 22万時間飛行訓練無事故

  12月19日(金)をもって、防府北基地の第12飛行教育団(団司令:上田1佐)の飛行訓練が終了となりました。今年は、飛行納めの公式な行事は有りませんでしたが、基地終礼で、上田司令から所属隊員を始め、基地所在の管制・気象部隊等の全隊員に対して、年度の業務遂行や飛行訓練その他の任務達成について暖かい労いの言葉があり、皆さんは来年の任務達成と飛行安全に心を新たにしていました。ちなみに、今年の秋には、22万時間無事故飛行を達成しています。昭和51年のT−34メンターの墜落事故依頼、歴代の司令他、基地所属隊員が32年間に渡って力を合わせ、営々と積み上げて来た大記録だと思いますが、意外と外部には知られていません。

単発機、そして操縦初心者が搭乗する故の整備上や運用上の苦労は多いと思いますが、途切れることなく無事故での飛行訓練を継続している、基地所属隊員の皆さんに、敬意を表し、併せて感謝申し上げたいと思います。

メンターの後のT−3型機は用途廃止まで空自唯一の無事故機種でしたが、現在運用中のT−7型機も基地の皆さんの努力で、1歩1歩無事故記録を更新出来ますように祈っています。

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3 防府天満宮と周防国分寺

  昔、防府で勤務された先輩方も多いかと思います。最近の周防国分寺と防府天満宮の写真を載せてみました。相変わらず、落ち着いた、感じの良い場所です。 

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市原記

                                       

「山陽つばさ会、防府OB会、隊友会合同忘年会」

去る12月13日(土)、つばさ会山陽支部(重永支部長)は、防府OB会(牟田会長)及び隊友会防府支部(神田支部長)と合同で防府駅前の「グランドホテル パレス愛」にて平成20年の締めくくりである合同忘年会を開催しました。3者合同の忘年会は、初めての試みでしたが、陸、海、空自の約90名が参加し基地の状況などを伺いながら、おおいに盛り上がりました。

1 三浦氏による講演会

今回も、懇親会に先立ち、駅前ルルサス2階の多目的ホールを借りて、三浦忠廣つばさ会々員を講師に迎え、「高杉晋作」のタイトルで講演をして頂きました。

晋作の業績や活動内容を幼少期からのエピソードや折々の社会事象を交えながらの講演は、三浦氏の博識と生き生きとした語り方により味付けされ、いつの間にか50名のOBは話に引きずりこまれ、あっという間の1時間半を過ごしました。小柄ながら、とてつもなく大きな志と決断力を持ちながらも、28歳で病に倒れてしまい残念ですが、山口県民の偉い所は、それらの歴史を大事に語り継いで行く、顕彰していく風土を維持していることだと思います。今回は、師の吉田松陰を始め、久坂玄瑞、木戸孝允、伊藤博文等、維新の中で活躍し、倒れて逝った数々の人々との関係がほんとに良く分かりました。

当時の時代は我々が思っていたよりも、大きなうねりで、しかも速く動いていたようですね。太平の世に馴れた上級武士のうごきのスピードでは、もはや変化をとめることも変えることも出来なかったのでしょう。平和な時代しか知らない小生も、笑って死ねるだけの覚悟は出来ていませんが、当時の武士は、毎日毎日が覚悟の日々だったのでしょう。晋作も結婚して家族がいますが、一緒に過ごした日々は半年ぐらいしか有りません。幕末の歴史は、人物に焦点を当てて聞くと、何回も色々な角度から伺えるため、その都度新しい事実が出てきて、興味津々で聴講できます。三浦さん、また次回も宜しくお願いします。

2 3者合同忘年会 

さて、その後は、防府南基地(福井1佐)、北基地(上田1佐)、陸自防府分屯基地司令(吉浦2陸佐)、山口地方協力本部長(出口1佐)他の基地主要幹部にご参加頂き、それぞれの基地や部隊、募集等の近況を会員一同に分かり易くご説明頂きました。

今年の懇親会は、3者合同ですので、100名近い人の忘年会となり、それは盛会でした。会に参加する方々は、皆さん、元気ですね。良くしゃべり、良く食べ、お酒もしっかり頂かれます。あちこちで主要幹部とOB会員の親睦の輪が広がりました。

また、今年も岩田会員他有志の「ひょっとこ踊り」チームが、正調に加えて現代風レパートリー等、3種類に広げて場を盛り上げてくれました。

さて、今年も残すところわずかとなって参りましたが、足腰の鍛錬を欠かさず、年末年始を健康に、良いお年を迎えられますようお祈り申し上げます。市原 記

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「防府北基地慰霊祭」

 

去る10月31日(金)、防府北基地(司令:上田知元1等空佐)において基地所在隊員の代表、主要幹部、自衛隊協力4団体が整列し、儀状隊の「捧げ筒」に併せて、ラッパ隊の「悲しみの譜」が吹奏されるなかで、厳粛に慰霊祭が執り行われました。山陽つばさ会は、基地司令のご案内を受け、重永支部長、野村、市原、三浦各支部長が参列し、殉職された英霊に対して中央つばさ会からの花輪を献じ、追悼の誠を捧げて参りました。

 防府基地の殉職者は、6名です。昭和41年に陸自13飛行隊のL−19が航法訓練中に徳山市の山に衝突して、寺岡3等陸佐が殉職。昭和51年には12飛教団のT−34メンターが体験飛行中、山腹に衝突し井手1尉と大下3曹が殉職されました。また、平成11年には、航空学生教育群の豊岡士長が1500mの計測訓練中に急性心不全で亡くなったほか、昭和42年には気象隊の河村1曹、昭和58年には12飛教団の藤井1曹の2名が呼集出勤途上に殉職しておられます。上田基地司令は、式辞の中で任務遂行とより一層の飛行安全、地上安全を誓っておられました。T−34の後継機のT−3は、退役するまで無事故でしたので、5年前から運用中のT−7も、無事故で退役出来ますように祈りつつ基地を後にしました。(ちなみに、自衛隊での無事故退役機は、T−3とP−2Jのようです。)

 一方、当日は、飛行第51戦隊(4式戦疾風)の基地碑前祭も執り行われました。戦隊の生き残りの方々がご高齢になられ、かつ遠方にお住まいの方も多いため、2年程前から依頼により基地が追悼し、献花しています。飛行51戦隊は、馴染みは少ないと思いますが昭和19年、防府基地で疾風を装備し、北九州と関門の防空任務に就いた後、フィリピン方面に進出し激しい航空戦を戦った部隊です。ご冥福をお祈りしたいと思います。
         

市原 記

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「防府南基地慰霊祭」

 7月1日(月)、防府南基地(司令:福井1佐)の慰霊碑(名称:献身碑)前において、基地司令、基地所在部隊長、基地主要幹部、各部隊隊員代表、基地協力会長、父兄会長、ともしび会中国四国支部長、殉職者の元上司、新生つばさ会重永山陽支部長と牟田防府基地OB会長が参列される中、基地追悼式が挙行されました。当日は梅雨の晴れ間と言う表現がピッタリの高曇り。前日までの雨のためか、碑の周辺の木々の緑が、いっそう鮮やかに感じられる環境の中で、黙とう、殉職隊員の紹介、福井司令の追悼の辞、献花に引き続いて、つばさ会山陽支部長、OB会長他、参列者全員による献花が厳粛に行われました。

つばさ会の生花、OB会からの生花が供えられ、OB会からのお酒も合わせて厳粛に献上されました。

 南基地の殉職者は6柱だそうです。昭和40年を最後にして幸いに殉職者は出ておりません。1年間の新隊員教育数等から考えると「43年間殉職無し」という記録は、凄い数字だと思います。歴史の重みを感ずるとともに、現職の皆様のご苦労は大変で有ろうと思いました。碑は、昭和38年に建立されたそうですが、大きな石碑が周りの鬱蒼と茂った木々と良く調和して厳かな雰囲気を醸し出していました。ふと、空を見上げると中天の太陽が暈(日輪)をさしていました。しばらくすると、一筋の飛行機雲が直上の日輪の真ん中を東から西へ貫き、水蒸気が多いのか、日輪とともにいつまでも残っていました。

追悼式と日輪。基地に後光が差しているようで、何だか有難味を感じた1日でした。南基地の所属隊員と学生に幸あれ!!                                                                                                                 市原 記

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「平成20年度山陽支部総会開催」

 山陽支部(重永照彦支部長)は、6月28日(土)山口市の湯田温泉で、20年度定期総会及び懇親会(一泊)を開催しました。湯田温泉は、県庁所在地の繁華街の真ん中にある大きな天然温泉郷ですが、幕末には坂本竜馬や伊藤博文等の志士たちが投宿し議論を戦わせたと言う、とても歴史の古い温泉です。そこの由緒ある「西村屋」さんで、支部の29名が参加して総会が行われました。(昭和の初期に詩人、中原中也が結婚式をした部屋が残っていました。)

例年どおり、19年度の事業の報告、決算報告、監査報告に続いて、20年度事業内容、予算案の提案、一部役員改選があり、全ての案件について承認を頂きました。近日中に、会員の皆様には、結果をお届けできることと思います。  

今年は、地元の石川氏、内田氏に加えて、広島から真志田氏もお元気な姿をお見せ下さいまして若者(?)一同感服致しました。(80歳トリオ合計で250歳だそうです。)

 また、懇親会では、防府南基地司令(福井孝1佐)、空教隊准曹士先任(興田准尉)、防府北基地司令(上田知元1佐)、12飛教団准曹士先任(白川准尉)、山口地方協力本部長(中原茂樹1佐)のご参加を得て、最近の空自や基地の状況について興味深いお話を頂き、お宿から、もう終わって下さいと言われるまで盛り上がりました。我々もつばさ会、OB会一丸となって基地運営に少しでも協力して参りましょう。町で若い隊員の方々を見かけたら一声かけて下さい。  

大雨の中で毎日、卒業前の戦闘訓練に励んでおります。将来の大成を願わずにはおられません。なお、西村屋さんは、野村支部長の紹介により、社長から特別のお計らいをして頂きました。建物は古いですが、料理が新鮮で美味しいでした。重ねて、有難う御座いました。                                     市原 記

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「防府北基地航空祭」

   6月1日(日)、防府北基地の航空祭が行われました。素晴らしい天気で、朝早くから続々と人が集まり、昼過ぎても入場者が途切れない有様でした。55000人、8000台の車が入ったそうです。小さな基地ですが、T−7、陸自ヘリ、F−4、F−16、F−2、ピッツS−2、ブルー等の編隊飛行、曲技飛行が続き、上空ばかり見上げていた我々も、首が疲れました。地上では航空学生のファンシードリルやランウェイウオーク、シミュレーター、顕彰館見学などに注目が集まっていました。つばさ会山陽支部(重永支部長)、防府OB会(牟田会長)の会員もたくさん参加して、盛り上げに一役買っていました。    

市原  記

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「防府南基地の創立記念日行事」

  5月25日(日)、防府南基地の創立記念日行事が行われました。朝方、心配だった雨もやみ、防府市長、基地協力会長、つばさ会、OB会会員など、4000人以上の近隣の方々が集まり、躍動感溢れる若い力(観閲部隊1300名)や、地上展示等を楽しんでいました。観閲行進では、OB老兵?1個小隊40人(小隊長:中森圭二氏、旗手:福田民平氏)に先頭を賜り、感謝感激。司令から記念品まで頂きありがとうございました。観閲行進は、12回目でした。お昼の祝賀会は、またもや、重永支部長が乾杯で皆さんを笑わせておりました。           市原 記
 

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