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川柳の楽しみをご提案。つばさ会川柳部

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川柳の楽しみをご提案。つばさ会川柳部


「川柳の楽しみ方」

つばさ会HPの皆様へ
                                   


○ はじめに
  「つばさ会だより」を読まれる方の中で、どれ程の方がつばさ会HPをご覧になるか存じません。しかし、折角の場でありますので、同好会の一つ「つばさ川柳」をご理解頂く機会として、川柳の楽しみ方などについて、肩の凝らない範囲で紹介したいと思います。

○  川柳とは
  世に川柳なるものが氾濫しています。五七五の音律で思いを吐く日本人の生理的な感覚と、無責任発言すらも許される世情環境がその原因でしょう。俳句とはどのように違うのか。それさえ曖昧、混然となってしまった状況にあります。俳人の中でさえ無季俳句が流行して、人生を詠うのが俳句だと称するに至っては、もはや川柳との境界はなくなりつつあります。

  川柳の世界では、伝統川柳、人生川柳、時事川柳、詩性川柳くらいはオーソドックスな範疇でしょう。
  しかし、雑誌川柳、企業川柳、サラリーマン川柳、ご当地川柳から、果ては頭髪川柳、花粉川柳、年金川柳、酒飲み川柳などなど、庶民の心をくすぐるテーマ川柳が陸続しています。しかもそれらは、駄洒落を主体に自虐や他虐の品格を落とした言いたい放題の場になっています。作者の貌が見えないもじり作者名による作品と言うことにも原因があるでしょう。
  そして更には、流行のお笑いタレントや有名司会者を登場させるテレビでの人気番組までが登場してきました。まさにマスコミによる洗脳時代です。ラジオ番組にはまだ良心的な部分がありますが、これも聴衆受けを狙い始めてなのか、残念ながら内容が低俗化して来つつあります。
  川柳なるものが何故こうも市井に蔓延しているのかを考えると、この窮屈な社会生活の中で、日本人が心の癒しを求めているからであろうと思います。川柳と称するものを、どのように楽しまれても結構です。こんな世情ですから、国民こぞってユーモアらしいものを渇望している様子が伺えます。ただ言えることは、ユーモアらしさがバカらしさと同質でなければよいのですが、如何でしょうかね。
 
  私どもが楽しんでいる現代川柳には、先の中では伝統川柳、人生川柳、時事川柳、詩性川柳などがその範疇に入るもので、一応、文学性を意識した真面目な創作の世界です。世に日々俳句が数万句は作られるでしょう。同じように現代川柳もまた数万句は作られていると考えられます。それ程川柳人口は多くなっています。そしてこれとは別に、所謂駄洒落川柳なるものも楽しむ方が、働き盛りの年代と中心に数多く生まれているのが現状でしょう。
  
 日本には俳諧の遊芸から発展した雑俳という世界があります。そこには、日本語という融通無碍な言語を駆使した、様々な言葉遊びの形態があります。小唄や端唄、都々逸、折句、回文などもその範疇です。音曲を中心にしたもの、言葉遣いの組み立て方での知恵を楽しむなどまさに様々です。
 俳句も川柳も、雑俳ではありますが、一応文学性を追求しています。俳句と同様に、川柳にも歴史があります。
  所謂江戸時代に始まる古川柳の考え方や形を継承して、明治後期以降に新川柳として復活したものが現代川柳です。
  俳句が自然を詠う事と比較すれば、人間を詠うということで、川柳はやや視点や姿勢が異なると言えます。
  総じて、俳諧が求める自由な機知に富んだ発想や滑稽味などは、俳句よりは川柳に継がれたと考えられます。

○ 川柳の楽しみ方
  川柳の楽しみ方には二通りがあるでしょう。ひとつはその一行に凝縮された寸劇を、面白いもの愉快なものとして笑いの対象としてみること。漫才ブームと似たようなものかも知れません。
  そして今ひとつは、その一行に人間の喜怒哀楽を発露して、自らを消化することで心の襞に潤いを与えて行くことです。
  言葉を換えれば、自らの想いを凝縮して詠む上げる楽しみと、これを自分なりの経験に照らして読み解く楽しみがあります。一七音字の一行を読み解く深みや展開は、正に個々人によって差があるところに面白さがあります。

○ サラリーマン川柳について
  取り付きやすい今風の川柳と称する、サラリーマン川柳を見てみましょうか。最近(第23回)の投票による得点上位句です。
第一位 『仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い』   北の援人
第二位 『「先を読め!」 言った先輩 リストラに』 山悦
第三位 『ただいまは 犬に言うなよ オレに言え』 さらば地球
第四位 『「離さない!」 10年経つと 話さない』 倦怠夫婦
第五位 『すぐ家出 諭吉はわが家の 問題児』   甘下り

  三万句に近い応募作品数。九万四千余の投票総数。まさに哀愁の人生絵図です。笑いというより自虐の慰めですよね。喜怒哀楽を詠って共感を得られそうな一行ですが、作者は匿名(創作名)です。
  音読してみると、大体が約束事の五七五リズムに整っていますが、四句目は五八六の完全な字余りです。でもリズムの調子は良いですよね。他の句では、口語体による一行詩とはいえ、まるで芝居の台本のように括弧書きや記号符まで使用していますが、これが詩という形式でしょうか。しかも顔を隠し名をも隠してしまえば、ナンデモありの世界なのです。ですから文学性などは在り得ません。
  これらは川柳の約束事からは外れています。江戸後期から明治初期まで流行った狂句ともまた異なっています。狂句には狂句なりの自負(?)もあって、文学的な素養がなければ挑戦出来ない世界でした。しかし現今の川柳もどきは、まさに時代っ子なのです。ですからそれはそれで、楽しみ方として否定するものではありません。世相を皮肉ってはいるものの、矢張り軽薄さは拭いきれません。それなりに日本語を縦横に駆使しておられる姿は、十分に認められますが。

○  川柳の要素
  明治後期の新川柳以降、川柳の特色を表すものとして、「穿ち」「おかしみ」「軽味」を川柳の三要素といわれております。
  これは古川柳の本質を凝縮してみた場合の概括の要素であり、穿ちなどという言葉自体が明治っぽい感じられます。まして現代では、社会や人間性の仕組みが複雑化していますから、現代川柳では、風刺と考えれば宜しいでしょう。
  「おかしみ」とか「軽味」などという表現も、中身を理屈付けるのも面倒ですから、ユーモアとか口語体のことであると思し召されれば十分でしょう。
  要は、人生の喜怒哀楽が、五七五の一七音字を基本として、リズム感のある一行に、さらりと表現され、読んですんなり納得できるものであれば宜しいのです。すらりさらりと姿の良い人生一行詩が川柳であるとご理解下されば結構です。
 ただし川柳は、自己主張ではなく自己表現する場なのですから、直截な主観句ではなく客観句が整った姿になります。かといって、読む者に安直に受け入れられる句にしてしまうと、説明調・顛末調・標語調・ことわざ調などになってしまいます。これらは、一読してナルホドごもっとも・・だからナニ・・といった調子の内容で、句に深みがありません。   
  時事川柳調の句にもこの手が多くなります。流動する時事・世相を追いかけているだけで時事川柳の形は整います。しかし時事川柳の底力は、寸鉄人を射るような風刺性と、心に響く納得性とリズム感が備わっているはずです。

○  終わりに
自衛隊という特殊社会で永年生きてきた私たちOB族の川柳には、世の市井川柳に比してお人好し的な甘さを感じ取ることが出来ます。言い換えれば、世の川柳にはもっとどろどろした人間性が描かれているものであり、これを詠むことで、成る程と感じ入る場面があるものです。まことに人生の勉強にもなります。

  ぐだぐだと冗長な駄文を呈するより、最近の川柳で参考になりそうなものを列記して終わりにしましょう。此所まで読むだけでも疲れたでしょう。ご苦労様です。書いている私の方も疲れました。宜しく。

「ロボットに馬鹿正直を嗤われる」
「矢っ張りといわれる人の無責任」
「逃げる奴背中の矢など気にしない」
「正直が融通効かぬまま朽ちる」
「おねだりのサブタイトルを愛という」
「繰り出した槍に手応え正義論」
「盗泉の水など問えぬ自己保命」
「ピーマンの空っぽがよい艶の肌」
「南無阿修羅慈母観音も鬼子母神」
「世間から鬼と言われる役もいい」

 作者は誰かって。ご想像に任せます。
                        二十四年二月 記

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