19年7月下旬の記事





7月31日
 参院選における敗北で安倍内閣は退陣するべきか、マスコミの論調は二分しています。社説を見ると読売は「態勢の立て直しを図らねばならない。」、産経は「欠かせない改革堅持の陣容」と述べて安倍路線を堅持し、態勢建て直しを図るべしとしています。これに対し、朝日は「安倍続投-国民はあ然としている」、毎日は「やはり民意を見誤っている」として退陣するべきだと主張しています。

 産経正論で屋山太郎氏は、「参院選の惨敗は安倍晋三首相にとって全く不本意な結果だったろう。自らが目指した政治とまるで内容の違う基準で評価されたのは心外極まりなかったに違いない。」と書いています。しかし、即時退陣を主張する朝日などはそうではなく、年金や政治と金こそが国民の審判を仰ぐ問題であったとしています。

 どちらの論が的を射ているのか、双方ともずれがあったのではないでしょうか。戦後レジームからの脱却、憲法改正、教育などこそが将来の国家を見据えたものと言うのも結構、格差是正、生活第一と国民生活の向上を言うのも結構ですが、その両輪が回ってこそ前進できるのです。

 その点で、選挙の焦点が年金と政治と金に集中したのは不幸なことでした。安倍政権にとって年金問題は直接の責任はないこと、しかし事務所経費など金の問題は、政権内で起こったこと、迅速適切に処理されなければなりませんでした。このため、国政全般から見ると瑣末なことが選挙の焦点になってしまったのです。

 衆参両院で与野党の勢力のねじれが強烈になりました。国政の運営がどうなるのか、意外にスムースに行く可能性も無きにしもあらずと思いますが、これは民主党が参院における責任政党として党利党略に走らなければの話です。

 ところで、民主党の多数の新人議員達の信条はどうなのでしょうか。今までの民主党は、自民からの離党組、旧社会党、旧民社党から入党した人達と民主党の構成はしっかり色分けされていました。今回、それに加わった新人たちの色が気になります。近い将来政界再編が行われ、多数議員を獲得するための数合わせの政党ではなく、思想信条を同じくする議員が集まった政党に生まれ変わることを期待します。



7月30日
 参院選、開ける前から予想された結果でしたが、これほどに自民・公明が大敗するとは予想できませんでした。選挙には国民のバランス感覚が効くという神話がありますが、前回の郵政焦点の衆院選は与党に振れ、今回の参院選は野党に大きく振れました。全体的にはバランスが取れたと評価するべきなのでしょうか。それとも、一方的な結果にはバランス感覚はないとするべきなのでしょうか。

 ヒゲの隊長佐藤正久氏が上位当選、喜ばしいことでした。これまで当てにならない自衛隊票という評判がありましたから、これを覆す結果でした。これまでの官僚出身の候補と比べれば、ブーツ・オン・ザ・グラウンドの自衛官が支持されたことは当然とは言え、嬉しいことです。

 佐藤氏の講演など聞きますと、これからの自衛官は軍事オタクでは駄目なことが分かります。しかし、その根底にある教養には自衛隊で学んだことが存在するのが分かります。そしてあらゆる想定を事前に行い、決断の準備をしておくと氏は言っています。想定外があっては駄目なのです。

 安倍総理にとって、これまでの9ヶ月は想定外の続出だったと思います。27日付け産経掲載の桜井よし子氏のエッセーには、「今のままの人事力では政権はもたないだろう。どんなに良い理想を持っていても、内閣や党の要に、上手に人材を配置できなければ、それを実現するのは無理だ。」と書かれています。自分が行った人事で想定外のことが起こったのは想定の範囲が狭かったからでしょう。



7月29日
 ようやく防衛省は対情報部隊を設置することになりました。情報保全隊本部がそれですが、その名称にも保全が残されており、counter intelligence機能が主任務だという主旨が出ていないように思われます。

 用語としては対情報が不適切ということで保全と言い換えられて年月が過ぎました。この間、もっぱら保全面ばかりが強調されたため、対情報という肝心の機能が置き去りにされてきた経緯があります。勿論、憲法と自衛隊の絡みからのおかしな制約から階級、戦闘艦艇などの名称も不適切な言い換えが続いています。

 対情報もその中の一つです。日本はスパイ天国などと言われ、自衛官にも他国へ情報提供するような人物が時たま出てくるのは遺憾なことです。これを防ぐため他国、或いは国内の勢力の情報活動を探知し、これを妨害し、防衛する活動は部内の秘密保全と同じように重要なことです。

 名は体を表します。新設されるという情報保全本部は先ず名称を対情報本部とするべきです。それにより、勤務する隊員達の意識も対情報に集中するでしょう。



7月28日
 ようやく東海地方まで梅雨明けになりました。関東もここ数日は真夏を思わせる天気ですが、気象庁も梅雨明けを宣言するには至りません。夏本番と言うには何か足りないと思わせる気圧配置です。

 ニュースは参院選一色で、総理も応援に出ずっぱり、外交も経済も休止状態ですが、世界は動いています。中国はいよいよ空母搭載機器を購入し、搭載する機体は SU-33ではないかと見られます。産経が報ずるT-10は SU-27の試作機のこと、 SU-33はその発展型で、艦上戦闘機です。

 中国は SU-33を50機購入する計画があると報じられています。この数から言えば、2隻の空母の計画があると思われますし、今回購入が報じられた着艦装置は4セットですから、これも2隻分と考えるのが妥当です。漢和情報センターによれば、ロシア製最優秀戦闘機の定評があるスホイを搭載する空母2隻態勢をここ5年程で整える計画だというのですから、 5〜10年後の東アジアの海上戦略態勢は大きな変化を遂げているかも知れません。

 東アジアにおける米空母の態勢は通常は2隻、搭載戦闘機の能力も接近すると言うことになると、海上における航空戦力はほぼ拮抗することになります。この勢力をもって海上覇権の獲得に精を出し、台湾から尖閣まで或いは南シナ海からインド洋まで外部の勢力に手を出させない力を持とうとしているのです。

 中国発の汚染食品、光化学スモッグの源とされる化学物質、黄砂が次々と日本列島を襲います。これらは中国自身にとっても致命的なものですが、有効な対策は出て来そうもありません。軍事大国の顔は、経済・環境に対するモラル喪失の上に成り立つ極めてバランスの悪いものと思えますが、それを意に介す様子はありません。この10年、中国はますます付き合いにくい国となって来ました。



7月27日
 アフガニスタンでタリバンに拉致された韓国ボランティア団体の人達の解放交渉が難航し、一人が殺害されました。タリバンの行為は許すことができないことですが、善意とはいえあえて危険な行為を行ったボランティアにも責任の一端はありそうに思うのですが、韓国内での反応はどうなのでしょうか。

 今回の事件は拉致された人数が23人と多数であるのが特徴です。大人数で目立つグループが危険な地域を行動することの危うさは指摘するまでもありません。韓国政府はアフガンへの入国を自粛するよう要望していたとのことですが、安全への配慮が欠けていたと言われても仕方ない状況です。

 かつて日本人ボランティアがイラクで拉致された時、自己責任論が盛んに言われました。韓国のマスコミ論調を見る限り、韓国ではこのような論が盛んに行われるような状況にはなっていません。テレビ画面に表れる被害者家族達も解放を望む声ばかり聞こえてきますが、そこには自己主張の強さが感じられ、多くの日本人が見せる「私も悪かった」という内省的な思考は見えません。

 韓国紙のコラムに、「布教活動をしていることをタリバンに知らせ、処刑を願うような態度を見せる人も少なくない模様だ。」と書かれていました。この姿勢も日本人とは異なった反応です。自己責任論が、自分の命は自分で守る責任がある(この裏には生命の危険に陥っても自ら招いたことだから仕方ないという考えかありそうです。)というものとは違っています。即ち、「アフガンにとって望ましくない活動をする人は、排除した方が良い。」と言っているのです。

 このような反応を示す人が多数いるというのは、どういうことなのか、日本人には理解できないことです。このような究極状況における思考に、日韓の民族性を反映してか、大きな差があることを認識して置かなければならないでしょう。



7月26日
 産経が報ずるところによれば、米下院歳出委員会は25日、F-22ラプターの海外への輸出禁止条項を継続することを決めました。この決定により、懸念していたとおり、同機を航空自衛隊の次期戦闘機としての取得は当面困難になりました。

 この件についてはこれまで、国務省関係者は慎重な態度を示して来ましたが、キーティング太平洋軍司令官までが日本への輸出を支持しない態度を示したとのことです。これまでの報道では軍関係者は積極的とされていましたので、落胆しました。

 ところで、キーティング司令官は5月に訪中時、中国の空母建造を支援する用意があると述べたと伝えられます。毎年「中国の軍事力」冊子を発行し、中国の軍事的脅威を声高に言う米国防省の高官が言った言葉としては、私には発言の真意を読むことは難しいことでした。しかし、F-22供与不支持発言が出ましたから、キーティング司令官の考え方の一端は明らかになったものと思います。

 一昨日の本欄で、中国絡みでF-22は極めて政治的問題となっていると書きましたが、恐れたとおりの展開になりました。情報漏洩などでF-22の情報提供拒否の言質を与えた防衛省・自衛隊の責任も重いと言えましょう。



7月25日
 参院選まであと4日、マスコミが伝える予測では野党の勝利が濃厚になっています。衆参で与野党の勢力が逆の場合はこれまでもありましたが、与党にとってこの時の国会運営は困難を極めました。

 参院選の度に参院の存在価値が議論されます。良識の府であるとか、万が一の失政を衆参両院が相互にチェックするためだとか言われます。その様な対策が必要になるのはどのような場合かを考えてみますと、ある党が両院で絶対多数を占めた場合に、その失政なり独走なりをチェックしなければなりません。しかし、そのような場合には、少数党には少数であるが故に多数党の暴走を止める力はないのです。

 両院で与野党が拮抗しているか与野党が逆転している場合には、チェック機能はかなりの力を持って働きます。つまり、良識とかチェック機能とかは、不要な時に機能し、必要な時に機能しないと言えるのではないでしょうか。

 今回の選挙は、少なくともチェック機能が良く働く与野党の議員数になりそうです。むしろ働き過ぎて国政の停滞が起こるのではないかと心配があります。例を挙げれば、安保防衛関係で米軍再編への関係法案に野党が賛成するのか、恐らく反対に回り、国会を通らないでしょう。民主党の中にも恐らく賛成の意見を持つ人がいるに違いありませんが、そこは党利党略、重要法案で与党案に賛成することは期待できません。

 参院には衆院とは異なった高い次元で機能することが求められています。しかし現実は上記のような低次元の理屈で動きます。与野党とも、政権交代というような党略的なことではなく、純粋な政策論争を繰り広げる場が参院だということするべきだと思うのですが。第二衆院的な争いをしていると、存在価値を失います。



7月24日
 今朝の産経正論は森本敏氏が参院選後の日米関係について、その問題点と対策について網羅的に論じています。この問題を論ずる場合に、日本にとって日米関係は死活的ですが、米国にとって日本はどうなのかという視点が必要に思えます。その第一が米国が中国と日本をどう見ているか、将来的にどう扱うかと言う点です。

 我田引水的に言えば、日米は同盟国、海洋国家で民主主義国家、理念を共有する同盟国ですから、米国が共産主義国の中国を見る眼とは違う筈です。しかし、アジアの戦略的状況を見ると、中国は大国として台頭し、軍事的には米国の介入を拒絶できる態勢を整えつつあります。更に経済では中国を無視したアジアはあり得ません。

 即ち、米国が日中を対比すれば、どちらを取るかではなく、どちらも重視せざるを得ない状況です。この視点から見ると、森本氏が当面の重要問題だとするF-22に関しては、情報保全だけが問題ではなく、中国の対応こそが米国の態度を決める重要な要素になっているのではないかと懸念します。

 MDにおける日米協力、米軍再編成と財政的支援、テロ対策等々日本が米国と協調して行くべき政策は多々あって、今後も実行して行くことこそ日本の立場を強化するものと言えましょう。今後米国がアジアの軍事態勢をどう組み上げようと考えているのか、その意味でF-22は極めて政治的なものとなっていると感じます。



7月23日
 今朝の産経正論、岡本行夫氏が米下院における慰安婦決議案における日米間の齟齬について、特にワシントンポスト紙に掲載した日本の有志による意見広告の米側の反応を取り上げ、事実が問われているのではないと論じています。これは、今月20日の本欄で桜井よし子氏が事実が重要とする意見を紹介したのとは相反する意見と言えましょう。

 思うに、桜井氏の意見は野球で言えば直球勝負、ストレートに正論を吐き、相手を説得すると言うもの、岡本氏はもっと周辺を見回し、大局的戦略的に判断するべきだと言うものと理解しました。男と女の考え方の差を伺わせる様に思います。岡本氏は「歴史とは事実の羅列ではない。それを通じて生まれてくる主観である。」と述べているのに私は同感致します。

 そして、その主観はそれぞれの国によって異なるものです。主観を生む事実は異ってはならない筈ですが、歴史はそうはならないことを証明しています。貴方が知っていることは間違っているのだよと教えたとしても、相手が持っている主観を変えるのは難しいことと言わねばなりません。

 今アフガニスタンで、韓国のキリスト教系のボランティア団体がタリバンに拉致され、韓国政府が軍を撤退するよう脅迫されています。韓国のキリスト教系の人達の奉仕精神は旺盛であり、東南アジアでも活発に活動しています。その精神の根底にはイスラムの国でも自分たちの善意は十分に通ずるというものと思います。しかし、アフガンのイスラム原理主義者には他宗教の信者は排除するべきもの、両者の主観は相いれるところはありません。



7月22日
 6者協議終了後の記者会見で、北朝鮮の金次官は19日の佐々江賢一郎外務省アジア大洋州局長との協議について、日本側が「金融制裁よりもひどい政治的危機、われわれの民族的自主権を侵害する危機をつくり出している」と非難。「さらに一歩踏み出せば、災難が来る」と警告したことを明らかにした、と産経が伝えています。

 日朝の2者協議は、2月の議長声明で「平壌宣言に従って、不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを目的として行われる。」とされていますが、北朝鮮は日本に対する脅迫の場と認識しているとしか思われません。佐々江アジア太平洋局長は、この会談後、両者の約束で会談内容は言えないと述べていましたが、脅迫されたとは言えなかったのではないでしょうか。本当に両者の約束があるために言わないのであれば、金次官も言わない筈ですが、彼は脅したことを公言しているのです。

 今回の6者協議は実質的に何の成果も得られずに終わりました。北代表の金次官は核廃棄の見返りに軽水炉の提供を要求しましたが、これは議長声明には無かったこと、半島からの米軍撤退などの諸要求を含めて言いたい放題です。この6者協議が機能しているのか、合意事項を次々と無視する北朝鮮に対しじりじりと後退するだけの5者は、6者協議の当初の精神を忘れているとしか言えません。

 6者協議が協議という名に値するものなのか、これまでの経緯を見れば、偽ドルの免罪など含めて北朝鮮が一方的に利益を得、核廃棄への道は実質的に何も進んでいないのです。



7月21日
 今朝の産経に小池防衛相とクライン孝子氏の対談が載っています。この中で、小池氏は中高生時代に「考えられないことを考えよ」と教えられ、座右の銘も「そなえよ、つねに」だと述べています。

 軍事用語的に言えば、想定がきちんと考えられているか、その想定に対処策が出来ているかということでしょう。軍事に携わる人間にとって、想定は日常的な言葉ですし、敵の想定にない戦略・戦術を採ることが緊要ということは常識です。不意打ちを避けるため想定の作成に知恵を絞るのは論を待ちません。

 想定内(外)という言葉は、05年の流行語大賞になりました。当時のライブドアの堀江社長がニッポン放送株の買い占めでの攻防でこの言葉を発しましたが、周囲の人達は、この男よく考えているなと感心したように見えました。

 中越沖地震で、被害を受けた柏崎原発の揺れ方は想定外だったと原発関係者が言っています。想定されていた揺れが適切なものであったのかと言えば、今回の地震で不適切であったことが証明されました。地震学者達の意見も入れての検討が行われた結果の想定であったのでしょうが。

 人間が考える想定は間違えるのが常ですが、柏崎原発2号機の揺れ606ガルは想定の167ガルを上回ること3倍以上、これは想定外と言うにはあまりにひどすぎる数値です。これでは想定をした意味がありません。

 適切な想定をするためには、精確な情報が必要です。クライン氏が、「日本には諜報機関や防諜機関がないから、時代の変化を読み切れません。」と述べているのは正論です。最近の自衛隊の情報漏洩の問題でも、自衛隊内の情報の取り扱いがルーズであり、対情報機関が無力であるため、何処へどんな情報が漏洩したかが不明です。これでは、相手が獲得した我に関する情報がどのようなものか分からず、対処策もしっかりしたものを立てることは出来ません。




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