平成20年11月中旬の記事




11月20日
NHKの朝ドラに誘われた訳ではありませんが、松江に2泊の旅行をして来ました。出雲大社にお参りした時、社殿に「皇后陛下御話」という冊子が置いてありました。これは、美智子皇后が1998年にニューデリーで行われた子供の本を通じての平和集会の基調講演「子供時代の読書の思い出」を冊子にしたものです。

この講演はNHKでも放映され評判となりましたが、私も初めてこの内容を拝見しました。その中に、皇后が父から与えられた少女時代に古事記を読み、深い印象を持たれたことが書かれています。弟橘比売が倭建命を助けるため、嵐の走水で入水したことを特に挙げられ、「いけにえ」という酷い運命を進んで受け入れた悲しい美しさを学ばれたとのことです。

「一国の神話や伝説は、正確名史実ではないかも知れませんが、不思議とその民族を象徴します。」と話される皇后の心は、日本人の心の原点が何処にあるかを言い当てているように思います。

防衛大卒業生はこの走水を眼下に眺め、4年間を過ごす幸せに恵まれました。私も、卒業後数十年を経て皇后のご指摘を受けて漸くにしてこのことに改めて気付いたのですが、弟橘比売はいけにえとは言え、進んで自らを投じました。

自衛官の宣誓には、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」とあり、自己犠牲を求められています。上記の神話を顧みれば、一朝ことある時には命の危険を顧みず任務に邁進するという精神の涵養には、防大のキャンパスほど適切な地は他に求められないと思った次第です。


11月16日
北京発の共同電が中国の高校長が「日本に学べ」というブログを公開、これに共感する反応が出ていると伝えています。この高校は日本へ修学旅行を始めたところ、日本の自律的で社会に迷惑をかけないという気配りのある国民性に敬服すると校長が述べています。その一例が女性トイレで、消音と節水のために設置されている排水擬音装置も「細やかさ」と感じたのだそうです。

中国のトイレと言えば、仕切り壁がなく、対面式とでも言うのでしょうか、通称ニーハオトイレで、互いに顔を突き合わせて用を足すのが普通の姿です。流石に都会ではこのスタイルは少数派となりましたが、田舎ではまだまだです。数年前のラサ空港のトイレも大部屋に穴が数個開いているスタイルでした。

観光客があまり行かない所のトイレには、その不潔さから日本人はとても入れないのが常態です。このような古来からのトイレへの習慣が根付いているのですから、日本のトイレに感心する感性があるとは思えませんでしたが、実は排水擬音装置が中国人の心に響くところがあったのです。

順番を弁えずに窓口の多数の手が出される風景は、大都会では少なくなりました。こう見ると、中国人の文化というか古来続いてきた習慣の中には必然性があるものは少ないのではないかと思えます。北京五輪で北京市民のマナーは良くなったと言われましたが、その後はどうなのでしょうか。元に戻らなければ結構なことです。

最近中国では国際標準取得の動きが活発です。中国の標準を国際標準にしてしまえという運動で、中国が定めた標準が国際標準になれば、各国はそれに従わなければ商売ができません。特にIT関係で国際的な競争が熾烈です。

中国のトイレの悪夢を見ることが時にありますが、高校長は、ニーハオトイレが国際標準になるという恐れを消してくれました。! 日曜日の雑感でした。


11月15日
防衛省は田母神論文に関して航空自衛隊の状況を調査するとして、防衛監察に入ったと産経が報じています。監察官は6空団の幹部に論文の内容などを説明するよう求めているのだそうで、これが本当であれば隊員の士気を粗相させるだけでなく憲法に保証されている思想信条の自由を侵害する疑いがありそうです。

これまでの調べで、空自隊員が論文に応募していることは判明していますが、その多くは手続きに従って届けた上での応募でした。今、この応募論文の内容をチェックするのであれば、思想信条の調査としか思えません。

その一方で、政府は14日の閣議で、田母神前航空幕僚長の論文投稿について「空幕長の職務として行ったものではなく、私人として行ったもの」とする答弁書を決定し、今回の投稿が「政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張する」などの政治的目的には当たらず、自衛隊法で制限されている政治的行為にも該当しない。」としました。

そうであれば、空自隊員たちが応募した論文も同じ立場にある筈です。論文の内容がどうあろうと、問題視することはできません。この監察で、田母神氏が最も恐れていた「航空自衛官、自衛隊全体の名誉が汚されること」が起こりつつあります。

この監察は防衛大臣主導とのこと、マスコミ、一部言論などに見られる自衛官バッシングの風潮を助長することになりはしないか。今は将に現役自衛官の危機です。我々OBも慎重に行動することが求められているように思います。


11月14日
麻生総理の誤読多発が話題を呼んでいます。最近の流行りの言葉で言えば、「極めて不適切」です。詳細→ようさい、未曾有→みぞうゆう、踏襲→ふしゅう、頻繁→はんざつ、措置→しょち、有無→ゆうむ などがあったそうです。知識人でもあるべき一国の総理の国語力がこの程度では、困ったものです。

井戸兵庫県知事の「関東大震災が起きればチャンスになる」発言、これも不適切との評が石原都知事、橋下大阪府知事などから出されています。井戸知事も兵庫県庁のスタッフにこのような意気込みでやれと内々に指示したのであれば、問題にはならなかったと思いますが、近畿ブロックの知事会議でこの発言をしたのは頂けません。これも困ったものです。

上記のようなことは、総理、自治体首長さん達の言葉に対する意識が衰えていることの証明でありましょう。総理には漢字検定を受けて頂かなくてはなりませんし、井戸知事には適切な言葉を選ぶという総理より少々進んだ勉強をして頂かなくてはなりません。

このような状況は、政治家に対する国民の信頼を失わせる大きな原因です。私も麻生さんの国語力にはがっかりさせられました。給付金の支給などの経緯を見ても、指導力を発揮しているとは言えず、さもありなんと思ってしまいます。


11月13日
一昨日、朝日が田母神論文を検証するとして、秦郁彦、保坂正康両氏の批判を載せたのは、論者の選定がおかしいと書きましたところ、今朝の朝刊に東大北岡伸一教授、帝京大 志方俊之教授、評論家 唐沢俊一氏 3氏の評論を掲載しました。納得が行く選定です。

北岡氏は「トップの条件欠如を露呈」、唐沢氏は「陰謀論にはまる危うさ」と田母神氏の論文に批判的な意見を述べ、志方氏は「隊内の長年の鬱屈示した」と論文の背景を分析していますが、不適切だということは3氏共通です。

11月2日の本欄に私は「論文に書かれている米国の対日政策や廬溝橋事件へのコミンテルンの関与などについては、証言などが出てから日が浅く、未だ普遍的な歴史として認められていません。」と書きましたが、北岡、唐沢の両氏もこの例を挙げており、北岡氏は「都合のよい説をつまみ食いしたのでは歴史を理解したことにはならない。」と指摘しています。

唐沢氏は田母神氏が陰謀史観に嵌まったと述べています。陰謀史観とは、古くはフリーメーソン、ユダヤの世界支配論に始まり、KGB、CIAなど現代の情報機関などの活動によって歴史が作られてきたというものですが、コミンテルンの活動についてもこのような見方がありますから注意が必要です。

歴史の認識については田母神氏は自らも言っているように専門家ではありませんから、学者と論争する気持ちはないのだろうと思います。彼が最も言いたかったのは自衛隊を縛る諸制約からの解放ではなかったか、軍に似て軍にあらず、この為に生ずる不条理は自衛官でなければ体感できないものです。

志方氏はこの点を指摘し、自衛隊員には長年にわたり鬱積しているものがある、と述べ、これを打破するのは首相のリーダーシップと憲法改正が不可欠としています。即ち、自衛隊は軍であるべきとの指摘と思われます。その点では田母神氏も志方氏も視点は同じではないかと感ずるのです。


11月12日
田母神前空幕長の国会参考人招致が行われましたが、これについて新聞各社が社説を出しています。朝日、毎日、読売の3社は、田母神氏が言論の自由のはき違えしていると切り捨てる論調でした。産経だけが、本質的議論が聞きたかったと質疑の底の浅さを指摘しています。

産経が指摘するとおり、田母神氏を参考人招致しておきながら、委員長が冒頭で発言を制約する言葉を発し、その後の委員の質問も本質に触れない解任時の手続き的な事項とか、解任された時の気持ちなどという些少とも言えることの質問に終始したのはがっかりでした。

自衛官の任務は何か、特に高級自衛官のそれは何かを考えれば、部隊の統率、作戦運用など軍事力の運用に責任を持つのは当然のことですが、国家の重要な機能である軍事に関し、国の意思決定にそれなりの関与が行われなければならないと思います。現在はその機能が政治のトップに対し働くには不十分と言えましょう。そこに制服のストレスが溜まる大きな要因があります。特に自衛隊の海外派遣が日常的になり、運用上の諸問題が顕在化している状況では、ストレスは強まります。

田母神氏は「諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。」と論文に書いています。武器使用の制約、他国部隊が攻撃された場合の支援など自衛官に責任を被せて政治が逃げているとしか言えない状況は、上級指揮官が部下に派遣命令を下す時には耐えられない想いがあるに違いありません。

今回の参考人招致、マスコミ各社の論調などを通じ、制服は押さえつけておくべし、自由に発言させることは駄目という風潮が際立ちました。自衛官に対し、お前たちはしっかり働け、しかし言いたい事があっても黙っていろというのは無理な事、自衛官を一段下に見ていると思われる状況では、自衛隊の士気の低下が危惧されます。


11月11日
日本海におけるロシア原潜の事故、速やかに状況が発表されたのは大いなる変化でした。ソ連時代でしたら決して公表されることは無かったでしょう。ウラジオ沖を航行する当該原潜の映像がニュースで放映されていましたが、この様な取材ができたのも、何らかの航行に関する情報公開があったのでしょう、評価すべきことと思います。

問題はこれからで、旧共産国では情報公開にブレーキが掛かることが往々にしてあります。最近のロシアではグルジアがそうでした。注視して行きたいと思います。

田母神前空幕長の論文を検証するとして、今朝の朝日は秦郁彦氏と保坂正康氏の両氏に批評させています。朝日がこの両氏に検証を依頼すれば、どのような評価になるかは明らかです。この様な特集記事を出せば、自らを貶めることになるとは思わないのでしょうか。



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