20年5月中旬の記事




5月20日
  最近出版された「世界を不幸にするアメリカの戦争経済」(ジョセフ・スティグリッツ著)を昨日の朝日が取り上げ、著者のインタビューを載せています。スティグリッツ氏はノーベル賞受賞の経済学者、「世界を不幸にしたグローバリズムの正体「(徳間書店, 2002年)は各国でベストセラーになりました。

   スティグリッツ氏によれば、イラクとアフガンの戦費は直接・間接を含め概算で3兆ドルに上るとのこと、邦貨換算で320兆円にもなります。氏は「今回がは戦争が石油価格の上昇を招いたことが最大の特徴だ。」と述べていますが、石油価格上昇で誰が一番儲けたのか、日経によれば石油メジャーの1〜3月期の利益は3兆円を突破したとのことです。

   米国がイラク戦争を始めた本当の理由は、石油資源の確保にあるという説があります。スティグリッツ氏によれば、この戦争は石油価格高騰を招いたことが最大の特徴だそうです。これが風が吹けば桶屋が儲かるのと同じような波及効果を呼び、世界各地でガソリン価格が上がり、バイオ燃料にトウモロコシが使われ、それにより大豆の価格が上がり、小麦価格が上がり、ひいては食料価格高騰で世界的な危機が到来しています。

   米国は3兆ドルの4割を外国からの借金でまかなっているとか、それによって米経済が弱体化し、ドルの価値が下落し、米国自体への信頼性が揺らぐ結果となりました。スティグリッツ氏はサブプライムローン問題もその根源は戦争による浪費にあると指摘しています。

   こうして見ると、イラク戦争は米国にとっても世界各国にとっても経済的に失うものが多かったとしか言えません。石油確保の為に始めた戦争が、石油によるしっぺ返しを受けるとは、想定外のことだったのでしょう。


5月19日
  米軍は6つの地域commandの一つとしてアフリカ軍(Africa Command) を今年10月に創設すると今朝のNHKの解説が報じていました。Africa Command は既に昨年10月にドイツの基地で準備が開始されていましたが、これが実現することになります。これまでアフリカはその東部がCENTCOMの担当地域に含まれる他、USEU COMMANDの担当地域でしたが、ここからアフリカ地域を外して独立したCOMMANDにするものです。

   国防総省の説明によれば、Africa Command は戦闘する部隊ではなく、アフリカ各国の軍事の支援を行うことによって、平和を維持することを目的としています。即ち、対テロ活動が眼目と言えましょう。

   しかし、隠された最大の目的として、レア・メタルなどのアフリカで産する資源の確保があると考えられます。この資源獲得のため、中国は既に主要な産出国に援助の手を差し出し、1昨年にアフリカ諸国の首脳を北京に集め、「中国アフリカ協力フォーラム」を開催しています。欧米紙は「資源確保を狙って中国は人権抑圧国家を援助している」という批判が掲載されていましたが、ダルフール紛争に関するスーダン政府支援を批判したものです。

   日本も遅れてはならじと、アフリカ52カ国、アジア8カ国、その他18カ国に加えて74の国際機関が参加するアフリカ開発会議を今月末に横浜で開催し、アフリカへの関与を強めることにしています。

   今後とも日米中など資源を確保することが重要な諸国はアフリカへの援助など強化してゆくことは必須ですが、米国は軍事による支援を援助の一つの手段とすることを始めたと言えましょう。今や軍事は戦争だけではなく、平和維持から資源確保まで手広く任務が付与される時代になりました。


5月18日
   先週は立山室堂近くのみくりが池温泉に滞在していました。立山-黒部アルペンルートの近くです。今年になって驚かされることがありました。それは中国語をしゃべる観光客の著しいと言うよりも、極端な増加です。室堂のターミナルはこの人達でごった返し、通路を歩くのも難儀なほど、現在のアルペンルートの収容力では限界に近い混雑になっています。

   この人たちが中国人なのか台湾人なのか判断出来ませんでしたが、この急激な変化は中国人が増えたことによると思います。日本人観光客はざっと見て2〜3割程か、時刻帯にもよるでしょうが、聖火リレーだけでなく、観光の環境も様変わりです。統計を見ると、今年の中国人の訪日する観光客は、100万人を突破するのは確実です。

   みくりが池温泉は山小屋を自認している施設ですが、ここにも中国語をしゃべる宿泊客が入り込んでいます。食事時に隣のテーブルに座った5人程の家族連れがいました。食堂の TVが四川大地震のニュースをやっていますが、この家族達は見事にこれを無視し、TVを見ようともしません。理由は分かりませんが、例え台湾人だとしても、本土の大災害を無視することはないと思うのですが。

   ところが、この家族達はミャンマーの災害のニュースが始まると熱心に見ているのです。言葉の壁もあり、その訳を聞けませんでしたが、不思議なことでした。

   地球温暖化が言われ、山の雪が気になっていましたが、立山では多雪、入山する前日に降雪が30cmほどあり、また滞在中の1日が風雪で活動できませんでした。5月も中旬を過ぎるとこのような天候はあまりないのですが、天候も観光客も様変わりの今年でした。


5月11日
  胡錦濤主席が訪日が成功であった事を会見で語って帰国しました。首脳の外国訪問では、それが成功であったかどうかが常に評価されます。特に訪問する側の首脳はそれを気にし、例え十分な成果を挙げられなくてもそれを失敗であったとは決して言わないものです。

   先に江沢民前主席が訪日した時には、帰国後の中国内における評価で失敗だったとされたのは、稀なことでした。しかし、この中国内における反省が対日政策の見直しにつながる機会となったのは日本にとって幸いでした。江沢民氏の失敗の原因が歴史問題で日本批判を繰り返し、多くの日本国民の反発を買ったところにあり、これが日中関係を阻害する要因だとされたのです。中国指導者層の中にも過剰な反日は良くない、江沢民の歴史批判で日本人は皆反中になってしまったとする見方が広がり、江沢民の反日姿勢は少し軟化したのです。

   今回の胡錦濤主席の姿勢は、江沢民とは正反対と言っても過言ではないと思います。リップサービスかも知れませんが、歴史批判は形式だけ、日本の発展の経緯を称賛しました。かつて胡耀邦総書記が失脚した原因が、反日デモを行った学生たちへの対応が甘かったとされたことを考えれば、帰国後に保守派の厳しい視線を受ける可能性も無しとしません。

   今朝の産経の記事「宮家邦彦氏が読み解く 日中共同声明」を読むと、中国側がかなりの譲歩をしていることが分かります。特に「歴史問題は、日中間で一応の決着が図られたものと思われる。」との評価が正しければ、これからの中国の対日政策に足かせを履かせたものと言えましょう。即ち、胡錦濤氏はかなりのリスクを訪日で侵したことになります。




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